I.駅構内通路3mくらい先に
見覚えのあるようなお方…。
さてどこでお目にかかったか…思い出せない。
相手の方は私を見て気づいた様子であった。
「あら、こんにちは…」と、挨拶をしたものの
名前はおろか何処でお眼にかかったのかさえ
思い出せないでいた。
「そよぎさん!! 覚えていますよ。」と
私の名前を即時におっしゃった。
「ごめんなさい、お名前が出てこない…。
お名前が…?? 思い出せないわ。
すぐに名前が出るんですもの…、あなたはお若いのね。
お名前教えてください。」とお願いした。
笑顔で「いいですよ、いいのですよ。」と、
言いながらすれ違って別れて行かれた。
はるか昔のような、またはつい最近の知り合いだったかと
思えるような…、はっきりと思い出せない。
どなただったか!?
私はひとり最寄りのバス停を降りてから
だんだん思い出してきたような気がしてきた。
そうだわ、この近隣にお住いの方だわと。
ついに思い出した!
今から5年前まで、東京文学散歩の会で楽しんだ仲間だ。
あちらこちらと見学に、観光に行ったのだったが
その時にご一緒した方だった!と。
(↑白い帽子で格子柄シャツの方)
良かったぁ、思い出せたわと、早速家に着いて
昔の名簿から電話番号を引き出した。
間違っていたら、(ふと、どうしているかと思いまして…)
とでも挨拶すればいいかといい加減だ。
でも、やや確信をもってダイヤルNO.を押してみた。
ご当人の奥様が出られて、
「その節はお世話になりました、代わります。」と…。
ご当人のKoimaruさんは涼しい声…、でもしかし
「思い出してくださいましたか」と
安堵したような声。
「ハイ、Tabuchiさんのご紹介で入会された方ですよね。」
と言うと、さらにほっとされたような声のお返事。
忘れてしまうの当たり前か…!
彼は7年前に入会され2年間6~8回参加されただけだった。
以来5年はお目にかかっていない。
12年間ずっと同じ会長に引き受けて頂き、会は順調に展開してきた。会発足以来、私は会の発展あれと Itoh会長のもとに協力し活動してきたが、会長がおやめになって新会長のお鉢が私に回ってきた。
しかし、私の家庭の事情がその後に大きく膨らんできて、結局、2年の役員の任期とした区切りを機会に会長の座を降りなければならないと決意した。
この役員任期の機会を大変良いチャンスと思ったが、その後に続く会長職の受け手を懸命に探したけれど誰からも yesのお返事がなく困り果てた。
候補者の年齢的な条件とか健康面での不安、コミュニケーション不足などの協力体制がしっかりしていないなどの点が挙げられて、仕方ないのかとも思えた。
あの時が限度だったかと今振り返ると納得する。しかし会が閉じられることに決まったのは残念としか言いようがなかった。きちんと閉会の締めくくりが出来たことは良かったことなのだと思うことにした。
文学散歩とそのテーマにまつわる歴史を訪ね歩いた良い思い出がいっぱいの楽しい組織だった。みんな年を取って身体的な自由も奪われた人も出てきてあの時を限度として良かったんだと思えるようになった。
自然の流れだったと諦らめられる。最善の選択だったとの境地に居られる。
しかし、人間はどこかに顔認識が記憶されている。お名前は想い出さなくてもお知り合いの仲だったとかどこかでお目にかかっていると感じられるのだね。
そしてこの度は、お名前が思い出せて、まだまだボケていないらしいとして、ひとつの安心材料となった。
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