いつもお声をかけて頂いてありがとうございます。
A子さんは「今日は午前中出かけていますからSakaeで会いましょう。お昼をご一緒しませんか。」と声をかけて頂いた。
私の突発性難聴や彼女の足首の捻挫があったりお正月のいろいろな家庭行事もろもろなどで、大分ご無沙汰が続いたりしていた。
こちらが忘れられてしまっているかも―、という気もしていた。そんな時にラインからお誘いのメッセージがあった。
久しぶりにSakaeで待ち合せをする。
地下街では美術館に一番近いお店「Simamoto 画材」店で待ち合せをしましょうということになった。彼女が少し遅れるというので久しぶりにその辺をブラブラ。地下通路は良く歩いていたから懐かしく思い出しながら歩いた。
ここに新聞社のカルチャーセンターがあり、何年か通っていたので詳しく知っていたつもりであった。でも、最近はSakaeに来るときはいつもデパートなどで用事だけすましてブラブラせずに帰っていた。
地下街にあるトイレの位置まで詳しかったのに周辺の店が無くなっていたり様子が変わってしまっていてその辺りのどこにトイレがあったはずだとか、もっと先にもあったはずなのに…と考えながらも、サッと思い出せない。
そんなに来ていなかったのかと改めて思った。そういえば最近は、JR駅付近でばかり待ち合せて、駅周辺をブラブラ。食事やお茶をして近況を話したりしていたわ…。
人間て行かないでいるとすぐ忘れるんだと認識。そうね、この年なら忘れるのが当たり前だわ、なんて開き直ってもいたようだった。
彼女とは昨年11月に会ったきりでその後は会わなかったわね…。
最近は少し会わないでいるとすぐに太ったり痩せたり、老け込んだり若返ったり私の年齢は変化に富んでいるから随分様子が違ったと言われるかもしれないと、やや緊張気味だった。
いつも会う友だちには、遠慮会釈もなく、顔中が皺だらけにして笑うんだね、とか髪の毛が少なく薄くなったんじゃないの、とか自分で気づかなかったことを言ってくれる友だちを想った。
ちょっと失礼なことを口走りはするけれど、家に帰って自分で鏡を見て確かめるきっかけをくれたりする。まあ、それを言ってくれるのは私もきっとずけずけと言っているのだろう。それも「あら失礼ね」と軽くいなして「そう言ってくれるのはMさんだけよ」ときょうだいみたいな存在かも…、と有り難がっている
A子さんとも結構きょうだい関係のような所もある。私のキャラクターかも知れないがサラリと本音も言えるので親しみを持つけれど、それはこちらサイドの思惑だ。
親しき中にも礼儀あり…か。仲良しだからと言って言って好いこと悪いことを見極めて行きたいよね。
弁解したいと思っていることも中にはあるのだけれど「その話はやめましょう」と、賢いこと。ちゃんと口に出して制止できるんだもの。だから続くのです!!
タイトルには関係ないのだけれどこれは2016年5月22日、わずか3年前だったけれど、私たちは様子が大分変ってしまっているが、私っぽくなく写っていて自分では気に入っている。
(その日の二枚の写真を、張り合わせてみた。)
以下は『心のモデル』S.Y著からの抜粋だが、さらに”おわりに”を書き写してみよう。
(『心のモデル』”おわりに”の、最後の最後の部分)
「無駄」なものがなく、必要なものが「むら」なく整った環境では、ヒトは「無理」をしなくなってしまう。そうした状況からは躍動感のある心のモデルは描けない。またたとえ描けたとしても、そうした心のモデルは人生の、さらには「いのち」の応援歌になることはない。「揺れ」はある意味では「迷い」と「自由」にくみする概念である。そのために「揺れ」を生きとし生けるものの「応援歌」として描いたつもりである。最後にここで描き切れなかった想いを谷川俊太郎の一篇の詩に託しておくことにする。
《黄金の魚》 詩 谷川俊太郎
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさいさかなをたべ
ちいさいさかなは
もっとちいさい
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
何気なく言ってくれているのだが、心に沁み込む言葉の群れであった。
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