「母の日は忘れない」「あら、忘れて好いのよ」
母の日の前日。国立近代美術館で待ち合せをした。娘は5分遅れるとメールあり。ところが私ったら何を勘違いしたのか、小1時間も狂わせてしまった。美術館はなるべく早く行った方が観るのに楽だという配慮だったのに…。
お母さんの趣味は日本画だったから「横山大観展」を観に行きませんか…と次女から誘いがあった。「行く、行く!」と即答だった。出無精になっている。以前は独りでも出かけたのに今はだれかと共に楽しみながら鑑賞したいのだ。結局友だちや姉妹の交流をついでにしながらお出かけしたいとの考えだ。
彼女は、母の日のプレゼントをしようと最近、近くのショッピングストアに出かけたが喜んでもらえそうな適当なものが無くなっていたので、美術館に誘うことに切り替えてみたの…と。彼女は都内の教職員をしていて、日々忙しくしているのだ。
確かに長女は随分前から約束していた。彼女も仕事をもって居るので忙しさは変わりないのだが随分前に第二月曜日にランチデートをしようと誘われていた。
こうした母の日のお誘いも今や中堅の立場にいる次女は何やかやと信頼に基づく立場からの仕事も多く、目が回りそうなので母の日の何かをしたいと思ってもままならないのが分かる。それでもこうして誘ってくれるということは大変うれしく思っている。
大観の作品が多数集められていて見事だ。今活躍中の日本画家の作風やテーマなど大観の作品から大いに影響を受けている作品を軽くいくつも作品が思い浮かぶくらいだ。風景画もしかり…。人物のデッサンは少し下手などと解説されていたけれど…。
次女は大局的な見方、考え方をする子で私が気づかないような話を展開させることが多い。
今の若い子たちの傾向とか、表面的な振舞いを見ると、周りに影響されない行動にみえる。新人類(?)の考え方が分からないために奇異に映るような人が増えたよ…と。
もう少し常識をわきまえるべきかと非難したいところ、実はその人なりの考え方によって居るのだからその考えを逆なでしないように優しく対処してみるのだと…。すると新人類は、「私に優しく接してくれる」と思ってくれるようだが自分自身の姿勢は曲げないわけで、他の大部分を相変わらず非難したり言葉の使い方が下手でなんて言う人かと思わせる様子の人が多くなっているのよ…と。
決して自分を正そうと、または直そうとはしないで周囲の理解ばかりを願って頼りにしている。そういう人が多くなっているのだと。
彼女の言うことを思惑通りにここに表せて居ないかもしれない。私なりの解釈しかできないから間違っているのかもしれないのだが…。
そういえば、昔は「今の若い人は…」と先輩から思われていたし、常套句のようにその言葉はよく使われていた。
昔はそんなことが無かったとか、先輩方は、自分たちの生きてきた時代や考えを尊び、現代的な今の考え方を批判される傾向にあった。
それではと、柔軟に反省するつもりになると、「反省しなくても好いんじゃないの」と言われる。(そうなのかな、どうなのかな)と分からずに若い人との交流の無さ故かと想ったりもした。
これらは娘と食事をしながらの会話で私自身の考えが加えられ広がっている部分が気になるのだが…。
今日はお日柄も好かったようで如水会館で食事が好いねと目指していたが、結婚披露のパーティーとかち合っていて、どの部屋もいっぱいだった。そのすぐそばの学士会館にも立ち寄ったがここも満席。
「あらかじめ当たって予約しようとしたが断られてね。」ということだったが「どうにかなるわよ。」と私も暢気…。
ちょうど奥にある日本料理のお店に空席があった。実にちょうどよい加減の料理店に当たった。お話も静かにできたし、暖かいお茶のサービスが何度もあって、二人は満足で一日早い「お母さんありがとう」をしてもらった。
会計の時にお店の支配人らしき人にカメラのシャッターをお願いしたが「綺麗に撮れましたよ、どうでしょうか」と言われた。
冗談に言わせてもらった言葉は「あらモデルが好いから佳い写真になったと言ってくださらないの」と応答してみた。そうしたら、率先して言って下さったことは「もう一つ撮りましょう、あの古時計の所で…」と。
そのお店の一角を出て会館の入り口付近にあった古時計を背景に、さらにシャッターを押して下さった。(うん。感じよいお店だ)なんて勝手なことを想いつつ、感謝の気持ちを表した。
そして、母の日の当日。そうです、娘たちも立派な母の立場であったのだ。子どもたちに祝ってもらっているのだろうね。
だから、日ごろ溜まったものを片づけたりで家で用事をしていたら、母の日プレゼントが長女から届いた。
明日、その気持ちのランチデートとなっているのに、お姉ちゃんの気配り、気が利いたことを必ずしてくれる。しかし、もうそんなに気にしなくて良いのにと思いつつ思いがけない宅急便に、喜んだ。
とりあえず写真を撮って記録した。
次の日の予定がつまっていた。午前中は一つ、午後は二つの用事がある。私の車で長女の家に行き、そこで娘の車に乗せてもらい東京ディズニーリゾートの玄関口にあるショップ&レストラン&映画館などのあるショッピングモールへ。
その中のお気に入り、グルメのお店に腰を落ち着かせた。ここは以前にも二人で食事をしたところ。手ごろなお好みメニューもあって、ゆっくりできた。そして次の予定も考えてサングラスやハンドUVケア(手の甲だけの)手袋など物色していたらそれもプレゼントにしてくれたり…、~~悪いわね。
食事や近況報告を含んだ会話をゆっくり楽しみ、そこからまたJRで目的地へ、と予定していた。
長女の家庭は、いまの時期は教育費で大変だと思う。二人の娘(私にとっては孫よ。蛇足ですね。)を私立大学と私立高校に通わせている。男親も娘たちの楽し気な様子に目を細めて「いいなぁ、毎日楽しそうだねぇ」と応援しているところが素敵。
母親(長女のこと)は博士号をもっているのに子育てに重きをおいていた時期は行動を縛られる仕事には就かなかった。遣り甲斐を感じて生きて行かれるような資格をその頃から種々取得してそれなりの満足感を味わっていた。
今は公立小中学校のスクールカウンセラーや以前から勤務している専門学校の教師など天職じゃないかと感じるくらいに乗って張り切っている。
そして上の子の責任感だろうか。親に人一倍に恩を感じ何とかして親孝行なることをしたいものだと思っていてくれること、痛いほどわかる。しかし気が利くことは反対に親にも厳しい目を持っているから同性の私には指摘も痛いことをかなり言うので大変だ。
本当に娘たちは私が出来なかったことを時間的にも労力的にも工夫しながら懸命に努力しつつ生き甲斐を感じながら頑張って満足の域にいる。
自分で言うのは、ちょっと控えなければと思いつつ子どもに恵まれたものだと密かに喜んでいる。
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