ここによく登場する元同僚組の三人である。
先生方との最初の再会は、教え子たちのクラス会に久しぶりに顔を合わせた時であった。
勿論このクラス会主催の教え子も卒業後43年ぶりとのことだった。卒業年は昭和44年3月という。
私はこの子らが卒業時は既に退職していて更にその年の7月には二人目の子どもを出産する予定の時だった。
私の生徒たちへの一人一人に対する記憶もエピソードも薄れていて申し訳ない感じだった。
卒業年の担任の先生、可児先生はもう居ない。私と吉田先生と同年齢だった可児先生は残念ながら3年前に他界されてしまったのである。
そして代情(よせ)先生は現在リハビリ中である。この写真の三人に加えて上記の二人が加わってこの県立高校に五人が同期に奉職したのであった。
昭和44年3月の卒業生のクラス会に呼ばれたのをきっかけに、割りに定期的に会っていた。一緒に職員室に居た同じ時間を大切に思っていたのだ。
それなのに現在顔を合わせて近況を話したり笑っていられるのは、この三人になってしまった。
上に示したのはNHKで過去に朝のTV小説「花子とアン」でのワンシーンで卒業する生徒たちに外国人の校長ブラック・バーン先生が送る言葉であった。
私たちにもドキンと胸に感じる言葉。佐橋先生はそれを英語までメモされたのであった。
「わたしの愛する生徒たちよ我とともに老いよ 最上のものはなお後にきたる
今から何十年後かに あなた方がこの学校の生活を思い出してあの時代が一番幸せだった 楽しかったと心の底から感じるのなら わたしはこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません
人生は進歩です若い時代は準備のときであり最上のものは過去にあるのではなく 将来にあります
旅路の最後まで希望と理想を持ち続け進んでいくものでありますように」
そして日本人の英語担任の富田タキ先生は「自分の運命を決めるのは自分自身です」…と。
この年齢になってもこの戒めの言葉は感じるものがある。
この後、宮崎でクラス会が行われるが
心を当地に飛ばしながら佐橋先生は健康に不安を感じて
やむを得ず「不参加」の
返信を投函された。
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2冊のアルバムの下のものは2012.6.9元勤務していた高等学校での一コマ。
その上に重ねて置いたアルバムは教え子で画家になった今井千津子さんの個展が2014.4.26に名古屋市民ギャラリーで開催された。その際に集まった元教員連と今井千津子さん。
by nagotu3819
| 2018-05-04 05:05
| 交友録