101回院展鑑賞
絵画鑑賞は私の趣味、描くことも嫌いじゃない。いよいよ9月の声を聴くと芸術の秋を思う。娘の友だちが院展にずっと入選している。その画家からいつも招待券が送られて来るので私に娘から誘いの声がかかる。今年も出かける約束になっていた。食欲の秋でもある。いつも、ここで食事をする。そのレストランは、「音音」。…うん?? オトオトなんだよね。これがおとうと(弟)も意味しているのか、分からないが面白いネーミングである。今日も、久しぶりでここにお邪魔する。少食の娘に付き合って私も…!ダイエットの秋となるかな。美術館での絵画鑑賞はとても疲れる。散歩の15000歩くらい歩いたような疲れを感ずる。実際は4000歩くらいだったのだけれど…。
35年くらい前、そのころ妊娠中にも関わらず美術館巡りをしたことを思い出した。その時の川柳は「足さすり腰を労り美術館」
笑ってしまうが、そのくらい疲れて、でも絶対見逃したくない絵画の展示でもあった。一つ一つの作品にのめり込んだり、日本画としての技術的なものなどを模索したくて熱心に観たのだった。
あの頃の情熱が今もちゃんと残っているのかは疑問だが、それでも気が入って見入ってしまう。だから疲れがひどく感じられるのかも…。
大家の作品を今年のは好きだとか、ちょっと乗れない作品に仕上がっているだとか。
自分の作品に他の人が勝手な評価をしたらどう思うのだろうかと考えを及ぼしたけれど。
それで好いんだと思う。絵画など芸術作品は、見る人側の好みを思いつつ描いているのではないもの。画家が見る人に媚びてできた作品などは邪悪なものと映ってしまうような気がする。そのような姿勢は、好みじゃない…。
そうだよね。見る方の感想などを気にしていては純粋な魅力的な作品ではないと感じてしまうだろう。
あ~、貧乏絵描きという歌もあるではないの。自分で描きたいように…、だけれど買いたいと言わせる作品にしあがるのか。生活のためとは言え、描きたいものではないとすればきっとその作品は嫌いだと思ってしまうもの…。
今日の私は一つ所を堂々巡りしている感じだ。日頃の持論を言っただけのことで、大したことはない。
何時も大したことは言わないつもりだものね。
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