幸せって言うヤツは…
先月末から、カナダへ行ってきた友だちと久しぶりに会い、お土産話を聞かして頂いたが、彼女の言うことには、ハプニングがあったため大変困ったと今回、会う前に電話で聞いていた。
旅行中、雨、雪、と総じて悪天候に見舞われて折角のナイヤガラの滝も残念だったと。その上、神経痛なのか原因不明の痛さが、身体に表れて大変だったと…。
お会いして相変わらず笑顔の彼女を見てホッとした。旅行中の写真を見せて頂くと大変な状況にも関わらず
楽しそうに良い思い出作りができたように映っていた…。満足な笑顔の彼女が印象的だった。
妹さんとの旅だったが、妹さんに迷惑かけてしまったと申し訳ないことだったと話された。
だんだん年齢を重ねていくと思いもよらない故障が突然出てきたりする。同年齢のその友の話を聴き、私に矛先を変えれば体力的にも精神的な部分も、たびたびあやしく自信がなくなってきた現在と感じている…。
こんなことなら、もっと早くに色々したいことをしておくんだった…、などと、思わぬわけではない。
長野のお祖母ちゃんは、いかにも昔の人だった。長野の地域以外はどこも行ったこともなければ、別に行きたいとか、他の場所を知ろうともしていないようだった。バスに乗れば20分くらいで善光寺へ行けたのに「私は善光寺にも行ってないわ」と平然と言われた。つまらなくないのかなあと思った。
ただ、いつもニコニコと私たちを見守っていた。ああ、お祖母ちゃんはこれで幸せと思っているんだわと小学生の頃の私はただそう受け取っていた。
いまその頃を思い出すと、お祖母ちゃんは私より若かった(?)。しかし、それはそれで幸せだったのだろうと思う。お料理が上手で、お休みになると父と妹と長野へ訪ねてはお祖母ちゃんのお正月料理などに舌鼓を打ったことだった。お祖母ちゃんはお料理上手で、皆の美味しいという顔を見て満足そうに暮らしていたのだった。
竜安寺のつくばい(「吾唯足知」の4文字がある)(画像はネットより拝借)
幸せとは…。自分が満足できていること。「吾唯足るを知る」…ということなのだ。
話が随分横道へ逸れてしまったけれど、父はこの言葉が好きであった。それを聞かされていたからか、私の考えも納得の域の中で、その言葉が胸にしみていた。
幸せというものを私なりに掴んでいるつもりなのだ。
by nagotu3819
| 2015-10-29 01:56
| 交友録