朝、眠っているときに電話が鳴った。
最近腰が曲がって来て老いたと秘かに感じていた叔母が手術をするという。母方の本家の叔父(卒寿を超えている)からの知らせであった。
今ではあまり言われていない部分で、叔母(もうじき米寿)は気にしている。
お嫁に出た人間だからと、実姉兄の子の甥や姪の私たちには負担をかけるのは嫌だからと、直接に知らせてくれないようにしている。
直接だと余計な出費をさせるからだと心配するのだ。
私は水くさいと感じる部分である。叔母に直接の血縁である私たちには大変遠慮がちで、嫁いだ夫の方を主にして考えてこちらには本家の叔父から知ることになる。
そう考えることは普通なのかも知れない。
私たち傍系の親類は義理の付き合いとなるから、儀礼的なことには気にしなくて良いという。
気持ちの面ではなく世間体を重んじて、多分に自分を律しているからだ。
義理と言うのは、婚家には強いつながりを持たねばならないと思うからで、筋から考えれば確かにそうなのかも知れないのだけれど…。
一昨年亡くなった叔父は、血筋の甥姪はお見舞いにはそんなに顔を出さなかったという。
《なぜに義姉の子たちはきちんと俺を見舞いに来てくれるのか。本当に涙が出るよ。義姉は子供たちをどのように育てたのだろうか》と、言っていたという。
お年玉や可愛いいろいろな行事などには、きっと叔父の係累にはすべきものとして通ってきたのか。そんな差があったなんてちっとも気にしていなかったのだが。ただ、その叔父が病に伏していれば、放っておけない気持ちでお見舞いに伺う、そんな私たち姉妹を可愛いと思ってくれた。
難しいことだと思う。
婚家と、実家との付き合いの仕方はカッチリと出来るかも知れないが、気持ちの面ではどうしても身贔屓となるのが、普通のことだと思うのだが…。
血縁の親しみというか、幼い時から知っていて、親身に面倒をかけた思い出とかがあったからこそで、一方ならぬ気持ちが育っていくように思う。
おとなになってからの親類は、それなりにしかの付き合いで血縁よりは薄い気持ちになると思うのだが…。積み重なった歴史を持っている関係であるためなのだ。
嫁に出たから…と、言ってもなかなか割り切れないのが人間の心だ。親しみの心は自然発生的なのではあるまいか。
好きな親類は、堅苦しくないお付き合いの母方の親類になってしまう。母系家族と言うのか。
父方の血縁は、一歩も二歩も、控えてのお付き合いとなっている。父が下の方の弟で、父方の親類にはいつも緊張感を伴って、ご挨拶をしなければならなかった。
親しみ可愛がられると言うよりも、躾がなってないと言われないように父が気を使っていたからだと思う。
なんだか、人それぞれの感覚だとは思うが、私の場合はそんな親類としての付き合いだ。
しかし、私の世代はまた違う。
みんな同じという基本的精神で付き合っているし、父母世代の親類関係とはまた違っている。
姉妹仲良し度の違いが多少あるような気がする。