一団体の会報を、私としては精魂こめて編集に力を注いでいる。
なぜ、こんなに気にかけて、会の充実を夢見て頑張ってしまうのだろうと、自分でも思う。
私の、多分頑張りは生まれつきのものだろうと思っている。
ある方は、編集もいいけれど「絵を描きなさい、絵の才能も私は認めているんだから、ぜひそちらにも目を向けて欲しいものだ」と、進言してくれる。
有難いと思っている。
伯父のことを、伯母は評して言っていた。
「器用すぎるのよ、あれもこれもと、結構な腕をもってこなしてしまうから…、結局一本のものを十分成し遂げてはいないのね…」と厳しかった。
伯父の本職はそれでも世に名前を残す仕事をしたのだけれど。
伯父は、伯母の批評とは別に、ひたすら頑張るほうだと思っている。他には、書道、墨絵、俳画、短歌…など趣味的なものも、三大紙新聞で取り上げられたとか自慢していたっけ。
そしてある時は、「竹のカーテン」と呼ばれていた時代の中国に、四川省楽山市出身の文学者・歴史学者・政治家である郭沫若(かくまつじゃく)氏に招かれて中国に渡ったこともあった。郭沫若氏は中国政務院副総理も務めていらした。伯父の遺品の中に郭沫若氏の書や絵があった。
私は伯父の100分の一の才能も無いけれど…、頑張り屋あたりは少し継いでいるのかもと思っている。
これは会報57号の原紙となるものである。
カラーコピーは2枚で、あと6枚分はモノクロなので印刷機にかけて、両面を印刷して16ページ組みで完成とした。
会員の方に、次回の散歩のお知らせと、参加不参加の返信用のはがきに、会報を同封して1セット。
カラーコピーをするので、一部100円くらいの経費になる。
本来は、会員数だけの用意が必要なのだけれど、PRとして会員を増やすことにつながればと、多少余分に印刷している。
会報に載っている作品はレベルが高いとよく評価される。
楽しい読み物、日々考えていること、文学的なものなどテーマにした作品、皆さんの一言メッセージはもちろん大切なページ、そして前回の散歩の報告や紀行文を寄せてもらって載せている。
初めてそれを手にした方は、皆さん素晴らしい人達の集まりですね…と、お世辞も含まれた賛辞だとは思うけれど、私も素敵なメンバーが集まっていると編集しながら素晴らしさを感じて尚更力が入るのだ。その集まりに所属していることは、とてもうれしく充実感を味わっている。
そのような佳いメンバーにガッカリさせないような、会報を組まなければと頑張ってしまうのだ。
最高齢でいろいろのことを、そっと呟かれる方は、こんな安い年会費で立派な会報ができるなんて不思議だと、評してくださる。正当に見てくれていると嬉しかったことだ。
初めのころは、ポケットマネーを持ち出したこともあったけれど、それは絶対だめだと当初の会長から言われても居た。自分が満足いくまで何度もプリントして確認したりして、その件は自分の責任だと自腹を切ったのである。
そのうちに追々会費も値上げされたが、これはボランティアで行っているのだという精神のもとに、編集時間にはどれだけ多くの時間がかけられても没頭してしまう。会報の質の高さに見合うようにと、ただ追求すること、会報を手にする会員の皆さんの満足される顔を思い浮かべながら…。実際はそうでなくっても、自分が納得いくまでPCと闘っている部分が多く、妥協はできるだけしたくないのだ。
会のメンバーには押しつけになるようで、そのことは触れたくはないのだけれどと、思いつつも…、私ってだめね。
それは未熟で悟っていない部分、「人間」という部分が、やはり顔を出してしまっているね。
神や仏では有り得ない…、仕方ないけれど反省もしなければとは思っている部分ね。