背守りって知っていましたか。
その言葉を私は知りませんでした。
見れば、あ~、これね…じゃ、よく見ていたわ…ってなるんですけれど。
子どもの魔よけとして着物の背中に縫取られた「背守り(せまもり)」。
母親が幼い子供の背縫いのあたりに、刺しゅうや飾りのような糸印を付けて妹たちに着せていたのを覚えています。
これを背守り…というのですって。
昭和の中ころまで子どもは着物を着せられて育ちました。
なんと私自身「一つ身」(赤ちゃんの着物)綿入れを練習に作ったことが遠いあのころ確かあったと思い出しました。
そのころよりもっと以前も、母を真似して編み物やお人形の着物も作って遊んだりもしたんです。
TV「アンと花子」のなかで、赤ちゃんが着物を着せられている様子が目にとまります。
今の赤ちゃんの洋服は、着ぐるみのようにすっぽりと体を覆うようなもので大変扱いやすくなっています。
赤ちゃんの和服は抱き上げたりまた寝ているだけでも、よく赤ちゃんも動きますから、すぐに着物の合わせ具合や裾から足がむき出しになったりします。
肌蹴やすいです。
扱いにくいです。
赤ちゃんが着物を着ると特にだらしなくなります。
このような簡単な、↓一筆書きのような印が縫い付けてありましたよね。
わが子の無事に成長することを願って祈りを込めて背守りを手がけていたのですね。
その造形の様々が今回行ったところに展示されていました。
かつての衣文化の豊かさや母の子に対する愛の表現の豊かさ、丁寧さを知りました。
百人から端切れをもらい集めて着物に綴った「百徳着物」もありました。
背に縫い目のない子どもの着物は背後から魔が忍び込むとされ、昭和の初めころまで魔よけとして付けられていたと知りました。
シンプルな縫い取り、刺繍、アップリケのような押絵などそれらの造形は実に多彩でした。
子を思う母親の愛情表現…。
子供の死亡率も高く、貧しさのなかで本当に丈夫な子だけが育つような環境では、なにかにすがり、とにかく健やかな成長を祈るばかりだったのですね。
花子の子供も不幸にして、幼児期になくしてしまうのです。
気の毒な話ですが、そういうことも珍しい話ではなかったので、祈りを込めて背守りにかけたのでしょう。
お母さんの熱さを強く感じながら、ざっと見てきました。