前々から計画されていたこの大磯への探検散策。
先日行って来ましたが、気が抜けたように疲れがドッと出て解放された感があります。
以下その散歩会の会報の下書き的な、記憶を留めておきたい意図で簡単なご案内を纏めてみます。
バスを契約し、はじめはマイクロバスだったのに、それにはみ出すほどの希望者で、中型バスに契約替えとなったり、現地ガイドへの連絡や頭をめぐらし、委員の方々が実に懸命になさっておられるので私の立場では実働は無いようなその代わりに実が伴わない苦労、気配り、先への想定など経験ないことでかなり気を揉んでいました。
その一週間前からの天気予報で、バスだから雨でも行くと伝えてはいるものの、なんとか雨が天から落ちないようにと、願っていました。
幸いなことに朝のうちは傘を開きつつ集合地へ向かいましたが、大磯も散策の間は青空も見られたほどで、お天気は散策日和でした。
やや、無責任にきっと天気予報ははずれるわ…、多分大丈夫だと思うと、副会長に言いましたら、そのようにどこかに出ていましたかと、真面目な対応。いいえ、私は大体決めた日は天気からは守られているので、そんな気がするのです…と。
まあ、それが当たりました(*^^)v。。
駅前のサンダースホームで名前は何方もご存知でしょう。その澤田美喜記念館へ。岩崎弥太郎の孫、お譲さまの澤田美喜。
人の一生で、ある目的を持って生きていかれたのは幸せかという思いを感じました。如何に苦労が伴うとも、のめり入って当たれる対象が見つかり一生懸命にやり通され、それが感謝へと向けられていたその幸せを思いました。
記念館は隠れキリシタンの蒐集の館でもありました。その蒐集のマリア様像は美人には彫ってはいない…、ようだと思いました。人知れずの密かな信仰の対象は美しくていけないのかしら。なるべく目立たないように??
「魔鏡」というのを見たのですが、何にもない鏡面なのに光の反射で画像を結びキリストの映像が影のように浮かびあがってくる不思議なもので科学の力を借りた魔法でした。
澤田美喜はパールバック、ジョセフィンベーカーたちの支援をうけたりしています。記念館は箱舟をイメージしたもの、そのアプローチの階段の手すりは26人の犠牲者を悼んで…との想いだとのことでした。
大磯の街の様子―避暑地として別荘の洋館など―を垣間見ながら、地福寺へ。
島崎藤村が生前散歩していて気に入られたという地福寺。その希望通りに地福寺に眠っておられました。それは写真で知り得ていた事とは違い、境内の敷地内で墓どころではなく境内だったと言うことでした。
藤村らしくひっそりとした墓標と、静子夫人のお二人が控え目に並んでおりました。
湘南と呼び名由来の説明板を通って、鴫立庵でのひととき…。
この地での文化への想いを津々と受けるような沢山の碑、大磯を海水浴地へと導いた松本順軍医の碑、などもあります鴫立庵(でんりゅうあん)。三大俳諧道場の一つ。
そこには観音堂に西行像、そして曽我十郎への想いを亡きあとも終生思い続けた虎女を祀った…法虎堂。一か所に沢山の想いがここに詰まっていました。