20日に運営委員会がある。
その時編集会議および校正もするので、その叩き台を作っている。
一日置いて見直すと、部分的に直したくなる。もっと良い案が浮かぶ。
言い回しが適切さを欠いているところが目についたりする。
もう少し、もう少しと手直しして、PC画面だけでは判らないので印刷すると、書体が気に要らなかったりする。
また何日かして見てみると、ぽっかりと誤変換、誤改行が目に飛び込む。
あんなに間違いなく、見直しているのに、呆れるほど出てきたりする。
ほぼ出来上がって来たのに、原稿が届いたりすると、嬉しいが悲鳴ものだ。どうしてもレイアウトを換えなければならなくなる。
この時が一番大変で危険なことになる。スペースを作るため、あれこれと移動させ、写真を削除したり始めからやり直す覚悟ですれば良いのだが…。しかし、折角の努力だしと、今までのを活かしつつ換えていくと、テキストボックスへ入れた写真のキャプションが、全く画面から消えてしまったりする。
何故なのか、10年前は判らなかった。理由となることが、この2,3年前に判った。
表紙も何通りか出来てしまった。なかなか、これだと決まらない。レイアウトが決まった後に、そのページのタイトル・フレーズを直したくなる。
これは、2ページだけを出してみた。少しずつ代わっている。
これもやはりレイアウト的には決まっても、言葉を読み直すと手直ししたくなり、更に写真の大きさを変えてみたくなる。
書き直しが効かない書道なら、これで良いかと妥協して仕上げることもあるが、何度も塗り直しが出来る油絵とか、日本画でも岩絵の具を使って手を入れながら塗り重ねて描けるので、私には性に合っている。
何度も見直して、みんなで校正していながらも、完成して本印刷の段階で、ポカッと誤変換が見つかる時がある。まるで、かくれんぼしていたみたいにヒョコッと!! もう、絶対に取り返しがつかない。
そんな体験も重ねると、これで良いのだ…とは、なかなか言えなくなってくる。呆れるほどに見直したり手直ししたり。
単に見直すだけの校正だけなら、まだ良いかと思うが、字数を変えないで直したくなる時もある。
自分の文章が気に入らず推敲…、どうしても「削除→ペースト」の繰り返しをしたくなったりする。
会員の文章はその方の個性だし、責任だから…と、内容は一切触らないが、レイアウトを換えたりすると、大事な一行が消えてしまったりすることがあるのだから、そんなことになったら申し訳ない。
もう何度も印刷して見ていた所に、誤植が先ほど見つかった。
奥付の囲み―発行日が、平成25年3月1日―となっていた。慌てて、「3」を「6」に替えた…。(あ~ぁ。)