とげぬき地蔵・旧友‐先輩・母の日に
ある日友だちに誘われた。”明日は「4」の付く日だからとげぬき地蔵の縁日です””一緒に行きましょう、私の友だちも誘っていて当日は来ることになっているけれど、ご一緒しましょう。”
私には、その話題さえ一度もなかったのに突然に友だちの友だちと同行することを提案された。
私は人見知りをしない方なので構わないが、相手の方々は仲良しでもない、ましてや初対面の人(私)が同行するなんて嫌なんじゃないかと、気にかかった。
以前「一緒に出掛けること聞いてないし突然だと戸惑いますよ。困ると思うよ。」という別友の反応もあったので、「見知らぬ人間(私)を連れて来るのは相手に悪いんじゃないの」と反応した。過去にそのことを疎んで、初対面のその新入りと仲良くする様子も見せなかった友だちが、胸の内を吐露されたことがあった。
しかしそのお相手は私の存在を全く気にすることもなく10時半から午後5時過ぎまでのんびりとそれぞれで縁日を楽しむことになった。
とげぬき地蔵の縁日にはよく来られている常連さんの様子。「此処はお昼ご飯、美味しいのよ」とある俳優さんも何度か立ち寄り食べて行ったというお店に、小一時間並んで順番を待った。
よくディズニーランドでは人気のアトラクションに乗るためには長蛇の列を平気で並んで順番を待つけれどお食事も縁日では並ぶのが当たり前とばかりに並ぶことを厭わなかった。「その店はお魚やさんの、新鮮で味が良いので皆知っているのよ」と、待つ時間を楽しむかのよう…。
そして路上の所々を人は寄り道して、買うでもなく眺めて楽しんで歩いた。そう、そう、かの有名な赤パンツなども、結構高い値段がついているのに、「お隣のおばあちゃんに頼まれているの…」とか品定めをしながら購入することを楽しんで行かれる。
それを私は黙って、時には”可愛い”とかの感想を述べてみたりして買い物を楽しむ姿に沿うだけで行く。(縁日ってこういうものだったわね)と過去を思い出しながら…。
夕方まで楽しみ、散々歩いたから足が疲れたと格好の喫茶店で腰を下ろして適当なおしゃべりをしながら疲れを忘れていくように時間が過ぎて行く。
家に帰ったのは8時ごろとなってしまった。
「散歩の会」でご一緒していたTanakaさんから遊びにいらっしゃいとの電話があった。彼は、とても優秀な方で若い頃はドイツにも留学され実験研究をしたことがあったのだった。会報の編集担当の私は、頼み込んで寄稿してもらったので、そんなことも、あんなこともと、書くのは苦手だというのに無理やり原稿を頂いてもいたことを思い出す。
とにかく真面目な紳士で、理科系は文章を書くなんてとても苦手なんだと、尻込みされておられたけれど、いつも興味深い内容の原稿を頂くことになってとてもありがたかった。
その方が、脳こうそくを起こしてしまって後遺症を抱えることになってしまったのだ。「私がいけないの、食生活の注意を怠ったから」と奥様はおっしゃるけれど、今年米寿となられているし、自然の成り行きも否めないような気がする。
今は少し表情が硬くなっておられるがそばで奥様が一生懸命に支えて明るく振舞っておられた。
以前の印刷された会員名簿を持って私のところに電話を下さったという。
奥様の懸命なおもてなしを受けて、用意されたお土産をお暇する時に渡し忘れたと、私の家まで届けて下さった。その帰る途中、車で追いかけて下さった奥様とバッタリ出くわして立ち話…。
やはりTanakaさんの前では話したくないことも、女同士としてあるのよね、またお話ししたいわと言ってくださった。私ごときでいいのかしらと思えるくらい丁寧な奥様で、またお会いする約を束してしまった。
そんなこんなで日を重ねているうちに母の日となったが、今年は父の日と一緒に祝いたいからと計画している娘たちの案に大いに賛成の私。夫と息子はいつもこういう集まりを設けても何故か参加できない忙しさを抱えていて何とか参加せずにいる二人にこちらは何とか参加してほしくてあれやこれやと計画しているのだ。
とても自立している夫は私の理想でもある。私はそんな夫に刺激され、どうにか自分でできることは自分でやらねばと思いつつもどうしても夫や娘たちに頼っているのだわと反省する。
”父母の日”として一緒に祝うということはとても好いきっかけ。今度は無理してでも揃ってできないかと願っているのだ。
そう言いながらも子供たちは母の日にカーネーションの花籠を送ってくれた。
今年は6月にすれば良いと割り切っていた私の心積もりだった。メッセージカードには三人の子どもたちの願いが書かれていた。
「いつも 若く 元気で 可愛らしさを忘れないでいてね」ーーMI. CHI. FU.--
う~~ん、忘れないように心がけていきましょう…と、心に刻んだ。なかなか出来なくなってくるんだけれどね…。
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