この土地の氏神様、浅間神社にお参りに参りました。高校時代からの友だち K.Y.さんはこの地に育ち結婚されるまでだったかな(?)、思い出がいっぱい詰まった懐かしいこのあたりの地です。散歩がてら浅間様に行きましょうかとの彼女の提案に行って見ることにしましたが、彼女は本当に久しぶりに訪れたとか…。
私自身は、幼い頃はこのあたりにはあまり馴染みはありません。しかし、中高時代はこの神社や海の近くでしたので、少なからず思い出を残しています。生長の節目節目でもお参りに来ていたことを思い出します。
近くには、潮干狩りで東京近郊からは手近な観光地でもあり結構たくさんの人たちが訪れています。想いを込めて参拝しました。
その神社のすぐ隣に愛新覚羅溥傑氏の仮寓が今も丁寧に遺され手入れが行き届いて一般公開されています。(以下の記載はURLの検索により編集する)明治中期以降、
保養地として多くの文人墨客が訪れた稲毛は、
海岸線の松林を中心に、別荘・別邸が建てられました。
この建物はその中で現存する非常に貴重な遺構です。
こちらの屋敷は、旧武見家の別荘でしたが
平成9年に武見氏より市が取得し、同年4月から
「千葉市ゆかりの家・いなげ」として公開しています。
この建造物に、中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑夫妻が、昭和12年に半年ほどこちらに居を構え、
新婚生活を送ったという歴史的事実もあります。
保養地としての稲毛の歴史を今に伝え、
その歴史を知る上で、貴重な和風別荘建築として、
非常に重要な物です。
平屋の主屋と庭の離れから構成されています。
主屋は棟がL字型となっており、南・東側の屋根には
入母屋の破風が見られます。
室内は、漆塗りの枠の腰付障子、菱格子で飾られた欄間、
高く張られた格天井などの意匠が凝らされています。
居間には洋間が付いていますが、
屋根の形状や取り合い柱の納まりから、のちに増築された
ものであると考えられます。
離れは、外壁が主屋の洋間のものと同じ板壁であることから、
浩夫人の要望もあって、洋間に改装されたころに
増築されたと推定されています。
その室内は6畳と床の間で構成され、床の間には木瓜窓が施されています。
全体として改造が少なく、大正時代初期の意匠をよく伝えています。
溥傑は、中国の現代三筆に数えられる書家として、
多くの書画を残しています。
この書には、稲毛に居を構えた当時の思いを詠んだ
漢詩が二首したためられていて「ゆかりの家・いなげ」と
「溥傑夫妻」のつながりを偲ばせる作品です。
平成2年に溥傑本人から千葉市へ贈られました。
L字型に建てられた主屋の床の間やその突端の夫妻の寝室には浩さんの希望で洋間に改築、ベッドを愛用とありました。
【訳】※ 愛新覚羅溥傑・浩 著(福永嫮生 主編)「愛新覚羅溥傑・浩書画集」P62より引用
再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり
過ぎ去った歳月を顧みて再び千葉に来る。
世の中はすでに大きく変わっているが、
余齢をもって稲毛の旧居を訪れる。
新婚当時は琴瑟相和して仲が良く、
まるで夢のようだった。
短い期間ではあったが想い出すと
つい我を忘れてしまうほど幸せだった。
愛しい妻の姿と笑顔は今は何処に。
昔のままの建物と庭を見ていると
恋しい情が次々と湧いてくる。
君と結婚したその日のことが目の前に浮かび、
白髪いっぱいになった今にかつての愛の
誓いを思い出すにはしのびない。
再び千葉海岸稲毛旧居を訪れて感あり
二首を詠む。歳次庚午仲夏 溥傑
過去にNHKの「歴史秘話ヒストリア」での取材もありました。渡辺あゆみアナウンサーの色紙サインも。
3月23日、小寒い日でしたが、その庭にはシャクナゲが咲いていました。そしてトサミズキ、クリスマスローズ、ツワブキ、ウメがかつての当時を物語るように爽やかな賑わいを偲ばせていました。
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