明けて徐々に(私の啓蟄かしら)
ご無沙汰しました。ようやく更新しました。
このころはまだ風邪ひきさんだった。彼が分厚い掌で、長い時を割いて激しい咳で痛む背中を懸命にさすってくれた有り難さを胸ににじませた。申し訳ない気持ちと、あったかい気持ちに浸ってしまったひととき…。そのあと、全快ではなかったが、ジパングの特権を使えるちょうどその日に新幹線を使うことになった。
車窓から見える富士山はいつになく澄んで綺麗に見えた。私は富士山側の座席ではなかったがそちらの方の隣が空いていたので移動してこの滅多に見られなかった富士山を写した。
よく新幹線を利用するのに、私の列車利用時は大抵午後なので、どうしても雲が出て来てくる時間であった。結局、雲が富士山を隠してしまうことが多かったから、この日はとても幸せ気分に浸れた。
* * *
私の孫娘は、今年成人の日のお祝いを受ける。晴着を着て、市役所開催のセレモニーに参加した。
その記念すべき日に近くに住むもう一人の娘家族も揃いみんなでお祝いのため顔を合わせられたことはさらに嬉しい。
この孫娘は母親である娘が大事な仕事を抱えていたころ生まれた。私が母親代わりのようなこともさせてもらったが、自分の娘を育てた時とは一味も二味も違った。子育ての余裕というものだろうか、可愛さも一入。
こういう事情が生まれたのは偶然のめぐり合わせだと思っているが、とても味わえない体験が与えられたものだと思い、そんな偶然に感謝している。佳い娘に育ったと思っている。
このことを”年寄りっ子は三文安”というのか?そう言われないように努めて孫と接してきたつもりだもの。そしてよく巷で言っている”バババカ”の発想とも違うと自負しているので祖母の私が子育ての手伝いをして単純に年寄りが育てたとは言えないなぁ。
…というところが”○○バカ”というのかと自問する。
まあ、そんなことはどうでも良いのだけれど、その後の両親の育て方も良かったのだろう、いや、良かったのだ。とにかく大きく立派に育ち、いい子と思えることも私たち一族としては嬉しいことだ。
そして父の命日。睦月とはよくいったものよ、と一人笑いする。
命日で笑う?…もう一昨々年33回忌をしたのだもの…、人を結びつけるこういう家族の行事でいつも心地よく集まって談笑できる日時を持つこと父も母も好きだった。きっと、天上でにこやかに私たちを眺めて居ることだろう。有難う、お父さんお母さん。
(今年は体調やそのほかの事情が出来ていつもの年より10人近く少なかった。)
しかし、今日この頃の寒さ…。北国では雪下ろしの際誤って屋根から落ちて亡くなられたとの報道が毎日のように流されている。
一年中で一番と言えるこのころの寒さ…。センター試験も行われるこのころ、雪か雨かも心配の種。
こんな寒い日に、父は亡くなったのよねと姉妹であの時を偲んだ。
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